ハダノ元教頭が GIGAスクール と DX人材育成 について考えるブログ
AIが高速で進化する中、今までできなかったことができるようになりました。文章生成AIや画像生成AIは、革命的なテクノロジーです。
生成AI用PCの使い方にも慣れてきたので、だれもが楽しめる作品づくりにチャレンジしてみたいと思います。
今回お届けするのは……
、、、に従い、最近のできごとをもとに作りました。
今回は、補助的に文章生成AIを使っています。
最初、「二刀流と二足のわらじの違い」を描かせようとしましたが、失敗しました。日本語の慣用句の学習が不十分なせいでしょう。
大まかなプロットを与え、TV番組の中でのテロップや依頼人・司会者・鑑定人のちょっとした言動のヒントを得て、ストーリーを仕上げました。
この4コマは、夫婦でピアノ協奏曲のコンサートに行ったことがきっかけです。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」は、壮大な音楽表現や情熱的な旋律で人気の作品です。オーケストラとピアノのかけあい、それをコントロールする指揮者、すべてに上質が求められます。
今回は、ピアニストが指揮者を兼ねる「弾き振り」で演奏されました。
a conductor who plays the piano and conducts an orchestra to perform a piano concerto.
というプロンプトで、生成してみますが、、、
、、、全然うまくいきません。ピアノを弾きながらオーケストラを指揮しなければならないのに、オーケストラに背を向けてピアノを指揮してしまいます。
と、実際の弾き振りでは、ピアノは左に90度向きが変えられ、視界をさえぎる「屋根」ははずされることが多いようです。
こんな特殊な演奏形態は、AIの学習データにはいっていないでしょう。プロンプトの工夫だけでは生成できそうにありません。実写映像を参考に、img2imgやControlNetでトライするしかなさそうです。
評価額のボードは、実際にマーカーで手書きした数字を取り込み、img2img → フォトレタッチ(クローンブラシで修正) で仕上げています。
、、、投打二刀流の大谷選手の人気のせいか、「二刀流の音楽家」も注目されるようになりました。
「4番でエース」が珍しくない高校野球と違い、指名打者制によって投打が分業された野球では、両方で活躍するのは至難のわざです。同じように、作曲・指揮・演奏が時代とともに分業されてきた音楽界においても、二刀流は難易度が高いでしょう。
「たまにヒットを打つ」「ショートリリーフならいける」程度であれば、二刀流とは呼べません。中途半端になってしまう危険を乗り越えて、どちらもハイレベルになってこその二刀流です。弾き振りをしていれば、「二刀流だ!」と思われがちですが、実質コンサートマスターを見て演奏しているオーケストラも多いでしょう。ピアニストの余技や隠し芸としての指揮といったところです。
の演奏会はどうだったのかというと、
「🔗ヘンリ・シーグフリードソン さんが ピアノと指揮の二刀流 ですばらしかった!」につきます。
「皇帝」は、堂々としたピアノの音に対してヴァイオリンの音の線がそろわないと、「ヒニャ~ッ」と聴こえがちです。弾き振りをしているヘンリさんは、第1楽章では破綻なく音をまとめ、第3楽章ではこれを逆手にとってデチューン効果で情熱的に表現していました。第2楽章のピアノは、ロマンティックに流れない端正な演奏で、好感が持てました。大きなヘンリさんが弾くと、ピアノが小さく見えました。
「シベ2」は、シベリウスの交響曲の中でも大編成の曲なので、室内オーケストラには荷が重すぎるのではと心配していました。しかし、出だしの弦の脈打つような音からすっと引きこまれました。ゆったり→暗い→荒れた→忙しない→荒々しい→重苦しい→力強い……と曲想が移り変わっていきますが、最後までちゃんとシベリウスでした。
巨大なオーケストラ用楽譜を小管弦楽のために巧みにアレンジする達人作曲家イアン・ファリントンの楽譜に慣れている室内オケとはいえ、ホルン1本が4本分に感じたり、省略したはずのチューバが聞こえたり……と不思議でした。これまで大都市以外では聴けなかった響きです。
ピアニストとしてのヘンリさんは、🔗シベリウスの交響曲を編曲してピアノで弾いたCD を出しています。フィンランドの音楽に強い思い入れがあるのでしょう。深い楽曲理解にもとづくオーケストラの指揮も見事です。指揮者としての日本デビューを立派に果たしたと思います。ハダノは、交響曲第5番のファリントン版も聴いてみたくなりました。
ヘンリさんはピアニストの余技としての指揮ではなく、本物の「ピアノと指揮の二刀流」を見せてくれました。
二刀流は、「武器を両手に持って戦う」→「分業化したものを両立させる」と意味が変わってきました。
🔗NHK FM ベストオブクラシック 2024.9.24~27 音楽界の二刀流 では、「バイオリンとピアノ」「バイオリンとビオラ」「ピアノと指揮」を両立させた音楽家たちが紹介されました。
バッハの時代であれば、通奏低音を受け持つ鍵盤奏者に合わせてオーケストラが演奏するので、「弾き振り」は当たり前のことでした。分業化が進んだ時代では両立が珍しくなり、「二刀流」と呼ばれるわけです。
そういえば、日本の漫画界も変わってきました。物語を考える作家と作画をする作家、2人で作業を分担して1つの作品を制作するという、「分業漫画」が増えてきたのです。 → 🔗分業制により需要急増!【2024年最新】漫画原作者大募集
そのうち、「〇〇先生は、原作と作画を両方こなす二刀流漫画家だ!」などと呼ばれるかもしれません。
AI業界はどうでしょうか。ディープラーニングの進展に伴い、生成AIが幅広く使われるようになりました。生成モデルが拡散モデル・GPTなど高度に専門化してゆく中で、画像生成・文章生成など分業化しています。これも、両立させる手法が開発され、「二刀流生成AI」と呼ばれるのでしょうか。それともいっそう細分化され、「AGI(汎用人工知能)ができないと収拾がつかない」なんてことになるのでしょうか。
スポーツや芸術から、仕事へと舞台を広げると、二刀流が投げかける問題は非常に深いことがわかります。中途半端に手を出すと、残念な結果になりそうです。
これからも考え続けていきたいと思います。
最近観た映画がフィンランドに関係していました。 → 🔗三谷幸喜監督『スオミの話をしよう』フィンランドでウケたシーンは?ヘルシンキ国際映画祭で海外初上映
いろいろな感想があるようですが、ハダノはとても楽しめました。
ラストのミュージカルシーンがアメリカンだったのはちょっと残念でした。シベリウス作曲 🔗「フィンランディア(フィンランドの第2国歌)」 とまではいかなくても、せめて地元の人気バンド風のヨーロピアンな味付けがあればなぁと感じました。
感心したのがヒロインの七変化です。長澤まさみが「疑似人格」を演じ分けるのを見て、「早見沙織といい勝負だ!」と思いました。
アニメ🔗「疑似ハーレム」 のヒロインも多種多様なキャラクターを演じ、好きな先輩にハーレムを体験させていました。声優にとってもチャレンジングな作品で、🔗「七変化の早見沙織劇場」 と絶賛されています。アッと驚くストーリー展開はありませんが、ハダノは最終話までドキドキしながら観ました。
同時期に制作された映画とアニメですから、影響しあうことはなかったはずです。それなのに「疑似人格」の演じ方には通じ合うものがありました。特に、ツンデレ系は髪型まで同じで驚きました。「偶然の一致」というより🔗「収斂進化」 と考えた方がよさそうです。
「自分は洋画派で、制作費のかかってない邦画・アニメは低クオリティで観る気がしない」という方にも、一度ご覧いただきたいと思います。
日本の作品の「感情の機微」を表現する力は、「エモい」を超える、、、